Kiichiro Adachi

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

なんとなく政治の話 2

今の状況がなんとなく第二次大戦直前に酷似してるのかもなと思った。
安保法案を戦争法案と煽るような馬鹿げたことではなくただ客観的に見て状況や要因が似ているなと感じただけだが。

第二次世界大戦の引き金は先の大戦で天文学的な賠償金を背負わされたドイツがさらにその後の世界恐慌により経済は荒廃、そこから民族の優秀性をもって自信回復をする為に国粋主義へと走り政権を獲ったナチスが海外進出の為に近隣国へと侵攻したのが始まりだった。大雑把な流れはこんな感じだったと記憶している。

今回のなだれ込む非白人であり異教徒のシリア難民、そしてVWの不正による巨額の賠償金により技術国ドイツへの信頼が揺らぎ傾きを見せる経済。EU自体これ以上のイスラム社会の流入を過度に恐れている。出生率などの違いから数十年後にEUはイスラム人口が多数派になるだろうと予想されているからだ。結果、矛先が難民へと向き国粋主義へと奔走する可能性は予想できよう。キリスト社会を守る為に白人社会を守る為に動き出しても全く疑問ではない。

アジアにおいても同じことが想起される。台頭してきた中国は徐々に好景気に翳りを見せ始めそれを埋め合わせる為に海外進出へと躍起になっている。かつて植民地を使ったブロック経済で世界恐慌を乗り切ろうとした列強国。日本もそれに倣い海外へと繰り出し東南アジアを植民地にしていた白人達を追い出し大東亜共栄圏を謳ったその姿と被せて見てしまう。そして現在、海外侵攻を虎視眈々と進める中国に対して日本は軍拡の準備やブロック経済と成り得るTPPで防護壁を築こうとしている。

歴史は繰り返すというが人間は過去から学ぶことができる(と信じたい)。だからそうならないことを願う。しかしそれをも巻き込む大きな流れというものがあるのかもしれない。それが僕が危惧することだ。



Anomalocaris_IMG_6213.jpg

全然関係ないけど、東京科学博物館での展覧会にあったアノマロカリスの折り方。こういうノリ好き。

多摩ニュータウン

 僕は無機質な郊外の住宅街が好きだ。多摩ニュータウンがお気に入りだといえばだいたいわかるだろうか。山を切り崩し整備し同じようなマンションが立ち並んだ景色。歩いている人は少なく見かける人も赤ん坊を抱いたママさんや子供そして中学生といった感じで、擦り切れたサラリーマンや老人、浮浪者などはいない表面が美しい街。

 山の木々や森は公園という名前で残されそれ以外は全て伐採されている。そして他所で育てられた樹々がわざわざ街路樹として等間隔に再び植えられている。特徴を列挙していくとあまりポジティブなものと感じないかもしれないがこういった街は僕の生まれ育った街に似ているのか安心する。いわゆる原風景というやつなのかもしれない。

 こんな五月晴れの昼下がりに歩くといい。管理された自然と無機質な建物が立ち並んだ誰もいない街並は驚くほど静かで樹々が風に揺れる音も聞こえるしアスファルトに落ちる木漏れ日も鮮明に感じることができる。森に住む鳥などの生き物も服や靴を汚すことなく観察することができるし喉が渇けば自販機だってある。
少し場所を変えて競技場に行けば近所の高校生か大学生の陸上部が練習しているのが見える。夕焼けに響く掛け声やスターターピストルの音はわかりやすい青春を想起させてくれる。

 勿論これが本物の自然とは程遠い事も理解している。しかし僕は自然を求めてここに来たりする訳ではないのでこれでいい。ただ自分にとってこういう場所も安らぐ場所だったりしただけなのだから。

headcover

 写真は10年乗ってたバイク、Kawasakiの1974年式の650RS、通称W3のエンジンのヘッドカバーだ。昔エンジンをオーバーホールした際に交換しそれを最近磨いて適当に袋ナットでしめた。少し重いけど部屋にお守りとして置いておこう。また乗りたいな・・・

UNDER CONTROL

 地球には様々な民族や国家が共存しており、文化やそれを担う宗教、民族的特性には自然環境の差異が色濃く表れている。私たちは自然をどのようなものとして捉えてきたのか(※)。例えば中東のような過酷な砂漠環境においては自然は乗り越えるべき存在であった。ひとつの間違いが生命に関わるような環境において多くの神がいては選択に迷いが生じて死に至る、よって唯一神の存在が不可欠であったろう。欧州辺りの穏やかで過ごしやすい気候では人は自然を従順な対象として捉えた。その為に住環境も内と外を明確に隔てるように発達したし全ては征服できるものだという思考は至極当然であっただろう。高温多湿なインドでは自然は忍耐してやり過ごすことこそが賢明な選択であった。その中からヨガのような修行法が生まれたのかもしれない。
 日本はその温暖湿潤な気候のおかげで自然から多くのものを授かり、またその分多くの天災を見舞われてきた。痩せた海とも云われる地中海を取り囲む国々にとって海は交通手段であったのに対し日本を取り囲む海は4つの海流がぶつかり合う豊潤な海域であり食料の在り方そのものであった。その恩恵と畏怖が自然全てに神が宿ると捉えさせたのも頷けよう。自然を受け入れ自然と共に生きる、それ故に個よりも集団としての和が重んじられる。これが良くも悪くも日本だろう。
 近来の科学技術を使い私たちは自然を効率よく管理することを目指した。効率性こそ富の潤い、幸福に直結すると考えているからだ。高温多湿な気候もエアコンをつければ問題ないし、渇水問題もダムや輸送技術の向上により容易に解決できるようになった。かつてのように自然に合わせてライフスタイルを変更する必要はなくなった。人間の都合に合わせて自然を支配化(under control)におけばいいのだ。それに合わせた文化を築いていけばいいのだ。それが現代的自然観だろう。


これに基づいて今回展示している二つの作品(color space(CMY)、parabola formB)について説明する。



●color space (CMY)
 私たちは自然を彩る色彩も科学した。光は3つの色(R=レッド、G=グリーン、B=ブルー)から成っており全てを合わせると白色になること(加法混色)、絵の具や印刷物の色の三原色(C=シアン、M=マゼンダ、Y=イエロー)は混ぜると黒色になること(減法混色)を解き明かした。
sangenshoku_.jpg

 自然界に咲く色とりどりの花が人間が解き明かした色の秘密通りになるのだろうか?
この作品は色空間(color space)の通りになるようにそれぞれの領域に合わせた色の花が咲くように種子を植える。やがて種子が発芽し開花した時にそれは私たちの科学した通りの色空間となるのだろうか?
color_space_image.jpg
 印象派にジョルジュ・スーラという夭折の画家がいた。彼は絵の具は混ぜれば混ぜる程濁って暗くなってしまうことを嫌い、当時の最新であった絵画理論を取り入れ点描画へと辿り着いた。鑑賞者は画面上で混ぜ合わされた色を見るのではなく原色の点描は脳内で補完されることによって濁ることのない光の色彩を手に入れた。それは絵の具を使っているにも関わらず減法混合ではなく加法混色を目指した絵画であった。
 この「color space」も 小さな花々を網膜が点として捉えることができれば脳内で光の三原色として補完される可能性もゼロではないのではないか。そう思うと花が咲くのが待ち遠しい。いや、たぶん僕はそうならないこと、予期せぬことをもっと期待しているのかもしれない。この花壇に種が植えられ花が咲く、1周目はだいたいの想像がつくのかもしれない。しかし3,4年と経過した時にどのようになっているのか非常に楽しみだ。


Seurat_1.jpg
▲ジョルジュ・スーラ / グランド・ジャッド島の日曜の午後(1884-1886)
Seurat_2.jpg
▲ジョルジュ・スーラ / 海の景色 (1890)《拡大》


●parabola (formB)
 以前僕は木漏れ日を発生させる装置として「parabola」を作った。晴れた森の中、枝葉の隙間からこぼれ落ちる光。またその他の条件が重なればその光の筋も観測できる。そんなある種の神聖な体験を室内にて体験できるようにしたのがこの装置だ。光は神聖さとは程遠いミラーボール状の表面に反射し地面に落ちる。またそのミラーボール状の形状は光が集約するように凹形状をしている。凹形状はゆっくりと回転をするので光はゆらゆらと揺れ、さながら木漏れ日のようである。
 では一体どこに違いが生じるのだろうか。木漏れ日を構成する要素は単にその光にあるのではなく、森に住む小鳥のさえずりであったり時折吹くそよ風は木々をざわめかせうっすら肌に浮かんだ汗を乾かしてくれる。僕が作った人工の木漏れ日は小鳥のさえずりの代わりにモーター音が響き渡り、そよ風の代わりに肌にはエアコンの冷やされた風が当たる。
 この装置によって一応は手に入れた木漏れ日という自然現象に対し支配力をより強化する為にはどのようにすればいいのか。その為に古来より人間の用いてきた手段がある。それは「対決させること」である。古代はコロッセウムから(もしくはもっと昔から)その伝統はあり、支配階級に属するものはその不可侵な場所から罪悪感など微塵も感じることなく下層の生物(動物や奴隷、敵国人)を興味本位で対決させてきた。これを実行できる力を有することによって支配関係はより明確となるのである。

※参考文献:和辻哲郎「風土」

parabola_formB_image.jpg
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
>