Kiichiro Adachi

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バスタブと土

DSCN1713.jpg

昨日アトリエに行く途中で見かけた。
道路に捨てられたバスタブいっぱいに土が詰められ雑草が生えている。
郊外の街にはよくバスタブが道端に放置されてるのを見かける。
それらは不愉快に僕の目に飛び込んでくる。
バスタブは浴室にあるもので道端にあるものではないからだ。
道端では全くもって機能しない。よって回収されない粗大ゴミとして僕の目には映る。
しかしこの土いっぱいのバスタブは特異な光景であったにもかかわらず街に溶け込んでいた。

明らかに人為的である。一体誰が何の目的でしたのか。

もしこれが道にあるのが目障りだと感じた中年男性の仕業だとしたら、
その中年男性は自らが住む街を誰よりも愛している。
その街から生まれたゴミすらもその街の一部にしてやるということは誰にでもできるものではない。

もしこれが花壇代わりにしようとした主婦の仕業だとしたら、
その主婦の環境に対する考えには感服するものがある。
人間の出したゴミを仲介に自然との距離をつめる。これこそが調和、共存といったものではないだろうか。

もしこれが退屈しのぎで遊んだ子供たちの仕業だとしたら、
その子供たちは遊び方をよく知っている。
彼らにとって街全てが玩具箱になるのだから。(なんて使い古された言い回し!)

以上3例は適当に書いたことなのでどうでもいい事だとして、
この光景、ちょっとだけ次の展示のイメージに近い気がする。
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