moon 1

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ミラーボール

 学生の頃からクラブにしばしば遊びに行っていた。クラブ好きな友達が多かったことも影響しているのだろう。仲の良い友達と酒を飲み大音量の中に身を任せることは空っぽになって大層気持ちいい。友達が徐々に大きな場所で出番が増えるのも嬉しかった。クラブに行くことは大学時代のひとつの楽しみでもあった。しかし、本当のことを言えば僕はクラブがあまり好きではなかった。クラブには僕の苦手な要素がいくつも含まれているためだ。まず初めに僕は踊りというものが大の苦手だ。ホールに誰も踊ってなかったら踊りたくはない。酒の助力も必要となる。

 そういえばe.e.no.24という作品もそんなところから生まれた。この作品は電話ボックスを一人用のディスコに改造したもので頭上のミラーボール、フロアライト、ヘッドホンから流れるダンスミュージック、そして4面のガラスはマジックミラーになっている。その為に内側からは鏡状になっている為に外界は見えないが、外側から内部は丸見えなのである。それを街中に設置し通りすがりの人が体験できるようにするという作品である。
 この作品を作った動機は何か。美大生芸大生というものはとかく個性というものを謳いたがる。その多くは突飛な行為を個性と勘違いして稚拙な初動から始めるものもいるが僕はそれを否定する気はない。なぜならそこから自己陶酔に陥り己が道を切り開く可能性を秘めているからだ。現代社会においても個人主義を基礎とする西洋流の思想が流れ込んで早百数十年。個人主義の重みを体感し、なお私たちはそれを超克することができるのかというのが作品のコンセプト。少しわかりにい。簡単にいえば集団だと騒げても一人になったら何もできないんじゃないの?一人でもできたら最高だぜ?

 では話を少し戻して、、、クラブとは男が女を積極的に誘うことも女は男を淫らに惑わすことも許された場所である。もちろんそんな連中ばかりでないことも理解している。音楽を楽しみに来てる層も大勢いる。僕は自分のことが硬派な人間だとは思わないがそういった現場を目撃してしまうとどうもげんなりしてしまうのだ。なんと低俗な空間にいるのだろうと。今ならそれも楽しめるが世俗的なことを遠ざけていた古典的で模範的な美大生だった僕にとってそこはまさに人の欲望が蠢くおぞましい密室であり、その同空間にて興じている自分を発見し自己嫌悪へと駆り立てるのだ。もしかしたらそれは初対面の人と話すのが苦手な人間の作り出した単なる理屈づけなのかもしれないが。

そして東京といえど郊外に住んでいた僕はクラブに人が流れ込んでくる12時過ぎにはもう終電がなくなってしまう。よってその日の盛り上がりにかかわらず始発を待つ羽目になる。なら居酒屋や誰かの家で過ごせばいいじゃないかというかもしれないがどのみち帰れるわけでもないしタクシーに乗るなど以っての外だ。
友達と話すのもどうも気が乗らないという日もある。なら煙草でも吸いながら酒を飲むしかなくなる。そして無意味にクラブ内の観察を始める。巧みに空っぽな言葉で誘う男、面白くもないのに笑う女、無駄に多いボディタッチ、無表情なバーテン、目つきの鋭いスタッフ、酔っ払いに雑に扱われたソファ、暗すぎる照明、グルグルと忙しく動くムービングヘッド、明滅するフラッシュ、時折放たれるスモーク、そしてどのクラブにも必ず頭上にはミラーボールが吊るされていた。律動爆々とした音楽を背景にミラーボールが回転する時は安っぽい色とりどりのライトがそれを下品に照らす。それは僕にとって街のあらゆる世俗風俗を引き寄せて出来上がった純粋な欲望の塊そのものだった。



 しかしその欲望の塊が神聖なものに見えた瞬間があった。それは泥酔睡魔による朦朧とした意識のせいだったのかもしれない、レコードの繋ぎに失敗した僅かばかりの静寂のせいだったのかもしれない。ともあれかくあれ世俗の象徴たるミラーボールが神々しい存在に見えてしまったのだ。何か宗教がかった力、天文ショーや稀有な自然現象を眺めるような不思議な静けさ。雑念、喧騒、欲望、混沌を糧に回転するミラーボールが崇高、孤高、神秘、絶対的な力へと反転する瞬間。チープなはずのミラーの反射光を宇宙の星々と錯覚してしまうかもしれない。世俗的なものと神聖なものの曖昧さの正体。この瞬間に再会することを僕は夢見る。

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