Kiichiro Adachi

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木漏れ日


 晴れた日に森の中を歩く。太陽の光が樹々の重なり合った枝葉の隙間から、あるいは葉を透過してゆらゆらと地面に落ちる。その中に入れば光は柔らかく心地よいし、外から見てもその光の筋は何かしら特別な機会に触れられたようで心が踊る。私たちはそれを木漏れ日と呼ぶ。“パラボラ”はその木漏れ日の光だけを抽出した装置だ。木漏れ日の光だけを抽出するという行為、それは僕にとって観葉植物を部屋に置く行為に似ている。緑に囲まれた生活をしたい、しかし森の中に住むのは不便なのでイヤだ、それならば木を一本小さな鉢植えに入れて飾ろう。これが観葉植物を部屋に置くあらかたの理由なのだろう。

 以前僕は冬の寒空の下、イチョウの街路樹が立ち並ぶ道を車で走っていた。舗装された道路の両脇に等間隔でイチョウが植えられている。冬なのでイチョウの葉は一枚もない。僕にはそれが痛ましく見えた。勿論植物が動物と全然違う生物だということも理解しているつもりだが、もし植物と人間が反対の世界だったらこれはどういうことなのだろうかと考えた。その世界では景観がよくなるとかそういった理由で人間が道路に等間隔で一人ずつ立たされている。雨の日も風の日も誰とも話すこともできずに。そう考えてしまってから街路樹というものがおぞましいものに見えるようになった。

 とはいえ観葉植物や街路樹は美しい、そして私たちの生活を緑あるものに変えてくれる。それが森に住むことを疎んで生まれたものであるにも関わらず。そしてこの“パラボラ”も本来は晴れた森の中でしか得ることのできない木漏れ日を部屋にいて体験しようとしたものである。この光を人間のエゴだと捉えおぞましい対象として見るのか?それともこれを観葉植物のように美しいものとして捉えるのか?



parabola_making.jpg


上の写真は制作中の「パラボラ」です。
またこの作品は現在箱根・彫刻の森美術館で行われている「ミーツ・アート 森の玉手箱展」にて展示されています。

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日時:2014年3月22日(土)~8月31日(日)
9:00~17:00(年中無休・入館は閉館の30分前まで)
会場:彫刻の森美術館 本館ギャラリー(一部、屋外展示場)

・参加作家(五十音順)
足立喜一朗、イチハラヒロコ、北川貴好、角野晃司、木村幸恵、しりあがり寿、谷川恭子、渡辺英司
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