Kiichiro Adachi

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LIFE BALANCER

命にはどうもそれぞれの重さというものがあるらしい。

私たちは野菜や動物の肉を食べそれをエネルギーに変えて生きる。
木を伐採して家を建てたり防寒の為に動物の革を剥いで身に纏う。
この辺りまでは他者の命の重さはどれも等しかったのかもしれない。

いつからか私たちは贅沢の為に利害関係の為に自由に命を奪うようになった。
はたまたその種が希少だと知るやいなや保護や増殖を試みたりする。
風習であったり宗教上の理由、またこれは頭のいい動物だからという理由で殺生を批難する場合もある。
これらは時代や地域差による倫理観、人生観、宗教観などによってどこまで可能か線引きされる。
しかし現代においてその線は非常に見えくくなっている。

例えば贅沢の為に他者の命を奪うことはどういうことなのか。
現在において、その命を奪う行為は誰かが請け負ってくれるので自らの手を汚す必要がない。
太らせて病気にしたガチョウの肝臓を食べる。優雅さを見せる為に毛皮のコートを羽織る。
贅沢とは文化が生んだ過剰な振る舞いのことで、人間として生まれたならばそこに憧れ溺れることも理解できる。
その贅沢は経済を回し、文化へと還元されるのだから。
だから憎むべきものかどうかは僕が決めることではなく各々が決めることだ。

命は平等だと偽善的に訴えてもやはり命に重さに違いはあるようだ。
この命の重さをはかることはできないか。
これは命の重さをはかる為の天秤である。
Life Balancer no.01

life_balancer_drawing.jpg
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