Kiichiro Adachi

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結晶彫刻(コンセプト)

2会場で開催していた個展「never die」@hpgrp gallery TOKYOと「never fade」@H.P.FRANCE WINDOW GALLERYも終わった。
本来は作品のコンセプトなどは個展前にリリースできればよかったのだが作品だけでていっぱいになってしまった。
「生と死」という普遍的なテーマを扱っているだけにかなり慎重になっていたこともあったが。
何回かに分けてテーマと素材について展開できればと思う。




これらは明礬(みょうばん)の結晶からできた彫刻作品である。
明礬の結晶は明礬を水に溶かして飽和状態にした母液の中で成長をする。 過飽和状態になった分が結晶となって現れてくるのである。それはまるで生きているかのように。 僕にとってそれは「生」の意味を持っているように思えた。
しかし結晶は地層のようにゆっくりと年月をかけて積層していく。
徐々に積み重なっていくそれらは地層のようでもあり、僕には「死」を感じさせた。
このように「生」と「死」本来相反する意味を兼ね備えた結晶という物質に僕は心惹かれた。

一般的に私たちの世界では「生」が賛美され、「死」が忌み嫌われる。 死にたくないし、衰えたくない。こう私たちは思う。僕もそうである。
当然のことかもしれない。


これを説明するには澁澤龍彦の著書「ホモ・エロティクス」を引用が適当であるかと思う。 その著書の中でフロイトを下敷きに「生=快感原則」「死=ニルヴァーナ(涅槃)」と展開。そしてそれの仮定のもと「快感原則」と「ニルヴァーナ」の統合こそ必要であると主張している。
「生の本能(エロス)」とはいわゆる性欲、食欲、知的欲求など外側に向けられた衝動、「死の本能(タナトス)」とは自己を破壊しようとするという内側に向けられた衝動とフロイトは説く──── ここでいう「死の本能」とは新たなる生の為の破壊衝動よりも永久不変への憧憬が強いだろう。

「生」は時間の制約の中、死を怯えながら快感を求め続けなければならないのか。
「死」は時間の停止した中では永遠何の変化もなくそういった脅迫観念からは解放されるのではないか。
本来それらの衝動は同じものではなかったのか。
これらを再度統合することこそが私たちの夢であるのではないだろうか。

alum_never_die.jpg

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