Kiichiro Adachi

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洗濯機

酒の席で隣人が新型の洗濯機を購入する話をしている。
その洗濯機は高性能で洗濯から乾燥、そしてシャツなどがアイロンをかける必要もない程にまで仕上げてくれるという。
便利な代物だと思う。「洗濯が好きで」とその購入予定者は言う。
僕は何かブレを感じた。キレイ好きなのかもしれないが本当に洗濯が好きと言えるのか。
当然の事なのかもしれないが、洗濯が好きだと言うのはその一連の行為自体を指すのではないか。

新型には最も重要な行為が欠落しているように思える。晴れた午前中に洗濯機でキレイになった衣類を両手でバンバンッと広げハンガーと洗濯バサミで物干し竿にかけていく。そして夕方になればそれらを取り込みシワの残ったシャツなどはアイロンで丹念にかけていく。この一見面倒である行為には愛する人や家族、お気に入りの服への思いが込められている。洗濯することへの愛はここで生まれる。

ここで語ったのは僕の時代の話であり、二層式の洗濯機や洗濯板を使用していた時代の話ではない。その事への言及はキリがないだ。
たとえばEメールの普及で手紙の機会は減り、暖かみが薄らいでしまったと感じる人も少なくはない。しかし昔、電話が生まれた時代でも人と人との繋がりを電話が薄れさせたと嘆かれていたのかもしれない。「話したいなら直接会って話すべきだ」と。
だが僕らの時代に電話が人間関係を希薄にしたと嘆息をもらす人はいないだろう。(勿論今の時代でも会うという行為は重要な意味を持つ)
掃除機が日本に入ってきた時もはじめは「ものぐさな嫁の使う道具だ」などと非難された。
それと同じように携帯電話が幼少期からあった世代と僕らの世代では携帯電話の捉え方が違う。
スタンダードは時代により移り変わっていくものである。
だから未来にこの新型洗濯機がスタンダードな思考基準になり得ても不思議ではないが、今の僕にはブレを感じた。

とはいえ僕はこの洗濯機がほしいと思った。



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