Kiichiro Adachi

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交通情報

制作中にはよくラジオをつけ放しにしている。
昼下がりラジオから流れてくるスウィーツ特集、芸能ニュース、スポーツニュース、ほとんどは僕に興味のない事ばかりだが、街に耳を傾けるのも悪くはないし、作業効率も上がる。
その合間に流れてくる「交通情報」。

「───環七はトラックと二輪車の事故により梅島陸橋辺りから上り方向に3キロの渋滞、また反対車線もそれに伴う脇見運転で1キロの渋滞───外環道は順調に流れています───玉川通りは故障車の影響で下り方面4キロの渋滞───」

このようにアナウンサーは淡々と原稿を読み上げる。
アトリエで制作中の僕にとって、全くといっていいほど関係のないことだが、聞き入ってしまうことがある。
これは空想を巡らせるのに適した簡略化がされているからか。
交通情報のみならば渋滞の発生地点と渋滞距離のみを伝達すれば十分なはずで渋滞の原因などをアナウンスする必要などないのに。
しかしその余分な筈のアナウンスがここでは重要となってくる。

例えば「トラックと二輪車の事故」とはどういうものだったんだろう。
軽傷で済んだのかもしくは甚大な事になってしまったのか、後者の場合、現場はどんな事になっているのか。
事故になった直接の要因は何か?
二輪車の割り込みか、トラックの巻き込みか、はたまた飛び出してきた兎を避ける為に接触したのか。

このような空想をするようになったのはまだ学生の頃、北海道に一人バイクで行ってからだと想定してみる。ルーツを多少強引にでも決めてしまえば思考がシンプルになる場合もある。
何日目かのライダーズハウスで泊まった夜、今日この近くでバイクとトラックの事故があってライダーが亡くなったという話を聞いた。場所はどうも僕が次の日に通る峠のようだった。翌日その峠近くの道の駅でまたライダーやバスの運転手から聞いてもないのにその情報が入ってくる。事故のバイクはCB750のK0(30年前の名車)だったらしい、そのライダーはそのバイクを30年間乗っていた初老の男性らしい。事故でライダーの首はもげてしまったらしい、フルフェイスをかぶっていたのでどうやって頭を取り出したのか等々。かなり眉唾ものの話も多かったし誰一人事故現場に居合わせたものもいなそうだった。しかし様々は情報は話を自然と構築させる。紋切り型に浮かぶ家族構成、またそれを厭ってかエキセントリックな家族構成もチラついてくる。

それからなのか交通情報を聞くとふいに短い空想に耽ってしまったりする。
事故の後はどうなったのか話に枝付けしたり、架空の人物を登場させたり。
とは云っても妄想癖はない方だと思うのでそこまで深くは立ち入らない。
だから時間にしても5秒ぐらいだろう、ただそんな事が漠然と浮かぶ。

そしてその事故の当事者と自分とのしかるべき距離を感じ取る。
この距離感というものが非常に大切なように思える。
僕にできることを考える。僕はここで制作を続けるだけだろう。

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