Kiichiro Adachi

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偽コンセプト

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"e.e.no.24"。これは大学の卒業制作でもあった。
デザイン科に在籍していた僕は卒業制作でこのプランを思いついた時、これでは卒業できないと思った。───今はどうか知らないが多摩美のデザイン科はアート的な要素を含んでいるものを受け入れない。そして容赦なく留年へと引導を渡される。
そこで僕は偽のコンセプトを用意する事にした。
下記の文章はそれである。
デザイン科の教授陣を騙して卒業できればいいと思って書いたもので、非常に都合のいい解釈や捏造、稚拙な切り口、さらに参考文献なども忘れてしまったが。

******************


新しいデザインの現場として
 アートとデザインとの境界とはどこにあるのか?そもそもこういった論題すら愚考なのかもしれないが、ここでは敢えて「アート」と「デザイン」は隣接する別個のフィールドに存在するものと仮定し話を展開していく。
 突然であるが、その境界というものは実に曖昧である。その曖昧さを私達に教えてくれるのがデザイン側からはヴィクトール&ロルフや三宅一生(ファッション)、倉俣史朗(プロダクト)であったり、アート側からはウォルフガング・ティルマンズ(フォト)やヴィクトル・ヴァザルリ(オプ)であったりする。
 しかし多くは曖昧であることが認知されず、その越境を明確にすべくコラボレーションという形式で解消しようとする。それは各々を限定的なフィールドととらえ、それに多面性を持たせる為であったり、フィールド間の揺動、侵食を目的においているように見られがちであるが、結果的にはボーダレスにするどころか各々のフィールドの限界を露呈してしまっている場合が多い。
 わかりやすい例がLOUIS VUITTONのマーク・ジェイコブスと村上隆のコラボレーションである。コマーシャリズムに則ったアートの可能性をコンセプトにしていた村上隆にとっては、恰好の領域であったろうし、揺動、侵食は成功している。しかしクライアントであるデザイン側(LOUIS VUITTON)からは安易なコラボレーションにより、前述した事態を引き起こしてしまっている。こういった退廃的なムードがデザインの現場に蔓延しているのが昨今の状況である。
 ではデザイン側からの跳躍的な介入は不可能なのか?


アート作品のプロデュース
 美術作家であるKal Andersonの『experimental equipment no.24(e.e. no.24)』という作品は文章のみで成立している。『e.e. no.24』を具現化するとどういうものなのか?それをコンセプト通りにデザインする。ここではデザイン側からの跳躍的な介入としてアート作品の別形態をプロデュースするという形式のアートを提案する。
 『e.e. no.24』という作品は下記のとおりである。

(1) When the equipment is installed in a city, it has to be lost to sight .
 (その装置は都市に設置される、その時その装置は都市に消え去らなくてはならない。)

(2) The equipment must have an efficancy to elevate your perception and subjectivity.
 (その装置はあなたの知覚、主観性を高めなくてはならない。)

(3) The equipment must expose your action to the others.
 (その装置はあなたの行動を他者に晒さなくてはならない。)


 『e.e. no.24』は個人の開放を促進する装置であると同時に、個人の開放を抑圧する装置でもあるというパラドックスが含まれている。
 ミラーに自分が映ることで、自身の主観性と知覚は高められ、音と装飾は心神喪失と覚醒作用を引き起こす。しかし都市に設置される為、常に他者の視線に晒される。


補足
 アート作品に対してデザインが介入したという前例はないのか?勿論ある。例えばパフォーマンス中心の作品で知られるヴァネッサ・ビークロフトである。彼女の作品は毎回様々な人とのコラボレーションにより構築されている。98年のグッゲンハイム美術館のショウにおいてはGUCCIのトム・フォードが衣装を手掛けている。これは美術館側からの要求で実現したことであるが、その要因を排除しても今回のプロジェクトとは本質的に異なる。
 ビークロフトの場合のコラボレーションはデザイン側を作品の一部に組み込んでいる。無論、作品に対してファッションを直接反映させる訳ではなく、そのデザイン性により選択されているのだが。しかしそれらは絡み合い、支え合うことで作品の完成度、強度を上げている。一方、今回のプロジェクトは既に成立している作品を骨格に、また新たな肉付けをすることによりアート作品の別形態を提案している。


補足2
 Kal Anderson(1935~):マサチューセッツ州に生まれニューヨークを活動の拠点とする。一時期フルクサスの運動に関与しており、それは日常の中に実験的な装置(e.e.)を持ち込むという彼の作品にも色濃く反映されている。彼の作品は実現不可能なものが多く概念のみを表した、つまり文章のみの作品としたものが多い。それは友人でもあったオノ・ヨーコのInstraction Paintingとの共通点を指摘されることが多い。オノ・ヨーコは60年、ニューヨークの自宅を開放しラ・モンテ・ヤングとの共同企画によりイヴェントやコンサート、展覧会等(チェンバース通りロフト・シリーズ)を行い始め参加者の中には時折彼の姿もあった。そして80年代後半にフルクサスの再評価が始まった時、コンセプチュアルアート的な側面を有する彼の作品は一躍脚光を浴びることになる。


フルクサス(Fluxus)
 60年代前半、ニューヨークを中心に欧米各地で広く展開された芸術運動の総称。「流動」や「変転」を意味する用語そのままに、非再帰的な行為を最大の特徴とするが、と言ってもそれは50年代にJ・ケージやA・カプローが展開した「ハプニング」とは異なり、より日常的なその“行為”の性質は「イヴェント」と呼ばれ区別される。61年、中心メンバーの一人ジョルジュ・マチウナスがニューヨークのA/Gギャラリー行った講演を機にフルクサスの名が定着、同時代のカウンターカルチャーとは一線を画し、あくまでもアヴァンギャルドを志向する運動の方向性が明示された。美術家に限らず、詩人、作家、音楽家などさまざまなジャンルの芸術家が関与した広範な運動は、63年にニューヨークで開催された「メイ・タイム・フェスティバル」で頂点に達した。メンバーにはヨーゼフ・ボイス、ナム・ジュン・パイク、シャルロット・モーマンなどである。日本人ではオノ・ヨーコの他に、靉嘔、塩見允枝子らがいた。

デザインへのプロセス
(1) When the equipment is installed in a city, it has to be lost to sight .
 (その装置は都市に設置される、その時その装置は都市に消え去らなくてはならない。)


Answer)
都市に消え去らなくてはならない、つまり都市の風景に同化させるという手法をとればその装置の存在は消失する。この条件に対し既に都市に存在し、空間を確保できそして(2)(3)の条件をクリアできる公共物として電話ボックスを選択した。



(2) The equipment must have an efficancy to elevate your perception and subjectivity.
 (その装置はあなたの知覚、主観性を高めなくてはならない。)


Answer)
知覚、主観性を高められるということはいわゆるトランス状態になるということである。トランス状態になるもっとも原始的な手段として「踊り」がある。この手段は現在も活用されており世俗的なものとしてはディスコがある。Kalはフルクサスに関与していたのでここでは誰にでも受け入れやすいものとしてディスコティック・スペースを通してトランス状態に導くと言う手段をとる。さらにトランス状態になりやすくする為、ガラス面を鏡張りにし、体験者のみの増幅された空間となるようにする。



(3) The equipment must expose your action to the others.
 (その装置はあなたの行動を他者に晒さなくてはならない。)


Answer)
他者に晒すということは外部から見える必要がある。内側からは鏡で外側からはガラスの状態にするにはマジックミラーを使用することで解消される。

                                       2004.1.13


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これに登場する人物"Kal Anderson"は僕が捏造した人物である。───一応僕とイニシャルは同じというヒントはあったが、誰一人気付かなかったことににんまりした。no.24という名称も当時24歳だったからという理由だけである。

卒業後、"e.e.no.24"という記号のような名称を僕は好まないのでこの作品名で変更すべきなのかかなり葛藤した。
こういう覚えにくい名称にした方が観覧者が自由に呼んでくれるのではないか(電話ボックスのディスコ、ひとりディスコなど)
いや、初めから親しみがあるような名称にすべきだとか。
そしてその事も忘れた頃に突然世に出されることになったのでそのままの名前で通ってしまった。

その候補の中で"Man In The Mirror"という名称も候補に挙がっていた。
マイケル・ジャクソンが急死してふとそのことを思い出したので記してみた。
アトリエの名前もNEVERLANDというのにどうすればいいものか。


(余談)
 以前に新聞紙を使って制作をしていた同じアトリエのエレーヌが発見した記事。
「ネバーランド M・ジャクソンさん、ついに譲渡」
その新聞の日付がちょうどアトリエを借り始めた日付と同じだった。
「このアトリエはマイケルから譲り受けたのね!」
こういう偶然でテンションが上がる僕たちはまだまだ若い。

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