moon 1

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ありふれた友情の話 2

現在僕は文化庁の芸術家海外研修制度でニューヨークに滞在している。以下の日記は半年以上前に書いたもので渡米前に載せようかと思っていたが片付けが苦手な人間にそんな余裕はなく今になって思い出した。



真冬の合間の雲ひとつない温かい日に僕たちは再会した。今でも予想できる限りの最高の再会であっただろうと僕は思っている。

彼と最後に会ったのは大学の卒業式の少し前だった。彼は卒業式を待たずとして渡仏するというので夜に大学の目の前にある彼のおんぼろアパート(今はもうない)に訪れた。すでに大方の荷物はダンボールに詰められていてどこか僕は置いていかれたような気持ちになって無言でそれらを見渡した。僕はといえば就職の内定も蹴り作家としてやっていくぞと意気込むも何ら見通しがたっていなかった。とにかく僕たちは乾杯した、それが酒だったかコーヒーだったのかも覚えていないが。
彼は彫刻科に所属しており、その仲間内でデザイン棟にある卒業制作が話題となって大挙して訪れたらしい。それが偶然にも僕の作品だったので彼はそれが嬉しくて僕をそれを興奮気味に伝えてくれた。「やったね」と言うそのトーンがいつもより低くて偽りないように感じた。実際僕もこの作品のアイデアが浮かんだ時点でこれはどこかの美術館にコレクションされるぞと世間知らず怖いもの知らずに自惚れてたから彼の言葉はとても嬉しくてそしてこそばゆかったのを覚えている。
彼はフランスに行ってアートの勉強をすると言い僕は日本でもう少しやってからNYへ行くと返した。彼に対抗しての言葉であったことは否定できない。渡米する為の具体的な手段など持っていなかったし、ただ好きなアーティストがたくさんいたからという理由だけだった。その日はそんなに長い時間を過ごさなかった。彼が何故フランスを選んだのかは知らなかったし聞いたところでより距離を感じてしまうだけだったから。

それから彼との再会には11年を要した。パリに遊びにおいでという誘いはあったものの実際に行くことはなかった。また何度か日本に帰ってきてることも知っていたが会いたくなかった。果たして僕は彼に会えるほど成長できたのかわからなかったし、もっと自分が成長できて、またもっと何かしらの成果が得てから堂々と会えればそれでいいと思っていたから。

そして真冬の合間の雲ひとつない温かい日に僕たちは再会した。文化庁の助成金の面接会場の入口だった。古い建物の重々しい両開きの扉を押し開けると彼がいた。まずはじめに気付いたのは彼の方だった──僕は明るい外から薄暗い室内に入ったのでまだ目が慣れていなかったからと言い訳をしておく。
彼は入口で守衛に面接会場場所を確認しているところだったようで入口を振り向いた彼はすぐさま僕に気づいて驚いた調子で僕のあだ名を呼んだ。それに続けて僕も驚く。
彼は11年前と変わらない細身にぴったりとした小綺麗な服を纏い、そして小さなスーツケースを持っていた。今朝成田に着いてそのまま来たのだという。
僕たちは11年ぶりの再会に昂ぶってしまい緊張する他の面接待ちの受験者も気にせずベラベラと話し続けた。(その人も知人だったし合格していたので許してください)面接などもうでもよかった。合否がどうでもいいという訳ではなく彼との再会の奇跡の中で落ちる訳などないという確信があったのだろう。
面接が終わった後に僕らはお互いのその日の予定をキャンセルして共に過ごした。歩きながら僕たちは話し続けた、学生時代には入ることを想像もしなかったようなカフェでランチを食べながら、ビルの最上階にあるギャラリーで展示を見ながら、喫茶店でコーヒーを飲みながら。そして大きな抱擁を交わし解散した。時間にしてみればたった数時間の事だがそれは僕たちの11年間を埋めてくれた。
これが予想出来る限りの最高の再会?と思うかもしれない。もっと映画のようなドラマチックな再会があるんじゃないのかと。しかし多くの幸福は坦々と均一に流れる時間の中に存在し、圧縮されるような激情とは縁遠い時もあるのだ。僕たちもまたこのような過ごし方をしたことは初めてで互いに大人になったことを感じただろう。だからこういったありふれた日常の一日として、真冬の合間の温かい陽射しの中、穏やかな気持ちで再会できたことが僕たちにとっては最良のものだった。

11年間の胸のつっかかりみたいなものもようやくとれた気がした。

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なんとなく政治の話 2

今の状況がなんとなく第二次大戦直前に酷似してるのかもなと思った。
安保法案を戦争法案と煽るような馬鹿げたことではなくただ客観的に見て状況や要因が似ているなと感じただけだが。

第二次世界大戦の引き金は先の大戦で天文学的な賠償金を背負わされたドイツがさらにその後の世界恐慌により経済は荒廃、そこから民族の優秀性をもって自信回復をする為に国粋主義へと走り政権を獲ったナチスが海外進出の為に近隣国へと侵攻したのが始まりだった。大雑把な流れはこんな感じだったと記憶している。

今回のなだれ込む非白人であり異教徒のシリア難民、そしてVWの不正による巨額の賠償金により技術国ドイツへの信頼が揺らぎ傾きを見せる経済。EU自体これ以上のイスラム社会の流入を過度に恐れている。出生率などの違いから数十年後にEUはイスラム人口が多数派になるだろうと予想されているからだ。結果、矛先が難民へと向き国粋主義へと奔走する可能性は予想できよう。キリスト社会を守る為に白人社会を守る為に動き出しても全く疑問ではない。

アジアにおいても同じことが想起される。台頭してきた中国は徐々に好景気に翳りを見せ始めそれを埋め合わせる為に海外進出へと躍起になっている。かつて植民地を使ったブロック経済で世界恐慌を乗り切ろうとした列強国。日本もそれに倣い海外へと繰り出し東南アジアを植民地にしていた白人達を追い出し大東亜共栄圏を謳ったその姿と被せて見てしまう。そして現在、海外侵攻を虎視眈々と進める中国に対して日本は軍拡の準備やブロック経済と成り得るTPPで防護壁を築こうとしている。

歴史は繰り返すというが人間は過去から学ぶことができる(と信じたい)。だからそうならないことを願う。しかしそれをも巻き込む大きな流れというものがあるのかもしれない。それが僕が危惧することだ。



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全然関係ないけど、東京科学博物館での展覧会にあったアノマロカリスの折り方。こういうノリ好き。

多摩ニュータウン

 僕は無機質な郊外の住宅街が好きだ。多摩ニュータウンがお気に入りだといえばだいたいわかるだろうか。山を切り崩し整備し同じようなマンションが立ち並んだ景色。歩いている人は少なく見かける人も赤ん坊を抱いたママさんや子供そして中学生といった感じで、擦り切れたサラリーマンや老人、浮浪者などはいない表面が美しい街。

 山の木々や森は公園という名前で残されそれ以外は全て伐採されている。そして他所で育てられた樹々がわざわざ街路樹として等間隔に再び植えられている。特徴を列挙していくとあまりポジティブなものと感じないかもしれないがこういった街は僕の生まれ育った街に似ているのか安心する。いわゆる原風景というやつなのかもしれない。

 こんな五月晴れの昼下がりに歩くといい。管理された自然と無機質な建物が立ち並んだ誰もいない街並は驚くほど静かで樹々が風に揺れる音も聞こえるしアスファルトに落ちる木漏れ日も鮮明に感じることができる。森に住む鳥などの生き物も服や靴を汚すことなく観察することができるし喉が渇けば自販機だってある。
少し場所を変えて競技場に行けば近所の高校生か大学生の陸上部が練習しているのが見える。夕焼けに響く掛け声やスターターピストルの音はわかりやすい青春を想起させてくれる。

 勿論これが本物の自然とは程遠い事も理解している。しかし僕は自然を求めてここに来たりする訳ではないのでこれでいい。ただ自分にとってこういう場所も安らぐ場所だったりしただけなのだから。

headcover

 写真は10年乗ってたバイク、Kawasakiの1974年式の650RS、通称W3のエンジンのヘッドカバーだ。昔エンジンをオーバーホールした際に交換しそれを最近磨いて適当に袋ナットでしめた。少し重いけど部屋にお守りとして置いておこう。また乗りたいな・・・

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